「じゃがたら写真集 1980-1989」

じゃがたら写真集 1980-1989
撮影:松原研二
オークラ出版

「じゃがたら写真集 1980-1989」

「じゃがたら写真集 1980-1989」

 

この本の帯に、町田康が「かつて『JAGATARA』というバンドがあった。とても重要な、こと。」という言葉を寄せている。1980年代前半の日本のニューウェーブブームを「イヌ」というバンドでJAGATARA(当時は「暗黒大陸じゃがたら」とか言っていた)などと共に駆け抜けた町田康(これも当時は町田町蔵だった)にとって、この言葉は、凄く当然のこととして吐かれたもののはずだ。

もちろん、当時、ライブハウスで幾度もJAGATARAをはじめ、リザードとかゼルダとか非常階段とかフリクションとかチャクラとか突然ダンボールとかを見てきた私にとっても、それは「重要な、こと」なのだが、そんなのは、単なる個人の記憶の問題でしかないことも分かっている。重要じゃない人には別に全然重要じゃない。

ただメンバーが何人も死んでしまったJAGATARAは、もう二度と目の前には現れないわけで、だからこそ、この写真集のような記録は、記憶の縁となってくれたりもする。当時の様子は個人の記憶の中にしか無く、後の世の人(例えば、今の若い人)には、その実態を知る術も無い。

個人の記憶には、どうということも無いけれど大事なものが山ほど詰まっている。でも、それらが情報として世間の目に触れることはほとんど無かった、今までは。しかし、今、インターネット上には多くの「日記」が公開されている。ここに書かれた様々な言葉は、時が経てば個人の記憶の集積となる。そして、時代の狭間に生まれた様々な「重要な、こと」について、パブリックなメディアが取り上げない記憶についてのデータベースが出来上がる。
個人の、個人のためのブログやSNSは、時代の記録装置として機能する。今すぐに役立つ情報なんて、どのメディアからだって手に入る。しかし、時代をまるごと記録してくれるメディアは、今のところ個人のブログやSNS群だけなのだ。これは本当に重要な、こと、だ。

 

(文:納富廉邦)