「夏の酒だから、夏を思い出すたびに呑む。」
ジントニックをそう描いた小説家は、誰だったか。
よく締めた氷。出来れば冷凍庫で冷やしたジン。ライム。トニックウォーター。1ダッシュのアンゴスチュラ・ビターズ。とびきりのカクテルができあがる。
ソーダを加えてさらに居住まいを正したようなジンソニックも悪くないが、夏は苛烈で、ほろ苦くもあるけれど、思い出すためなら少しは甘いほうがいいじゃないか。
酒には、季節がある。今日は、夏の酒の話をしようと思う。
たとえば芋焼酎は、同量、あるいはそれより少なめの水で割って数日冷蔵庫で寝かせた「前割り」を黒ぢょかに入れ、炭を熾して直火で燗すると、素晴らしい冬の酒になる。ところが、これを黒糖焼酎に変えると、冷やした方が旨い。夏の酒になる。
酒に季節があるのは、日本に限らない。
いや、むしろアメリカやヨーロッパの方が、季節には敏感かも知れない。日本人は、酒というと、そのまま、あるいは水で割る程度の呑み方が多いけれど、ヨーロッパでは、ワインやビールは別として、ハードリカーやスピリッツなどの、アルコール度数の強い蒸留酒やリキュールに、果物やジュースなどを加えて呑む文化があるからだ。
カクテルと言えばカクテル。でも、そんなにかっちりとした定義があるわけでもない。
アメリカ人が夏によく呑むのは、ミントジュレップだ。
夏の間中呑まれるが、なんと言っても五月の第一土曜日、アメリカ最高峰の競馬レース、ケンタッキーダービーが行われる日だろう。
ミントジュレップは、ケンタッキーダービーのオフィシャルベバレッジであり、ロゴ入りのマグカップやピッチャーが作られている。公式サイトにはクラシックレシピが掲載され(ガムシロップを作るスタイルだ)、使うバーボンはオールドフォレスターと指定までされている。
けれど、もっとモダンなレシピを、となれば、こんな作り方だ。
フレッシュなミントの葉をグラスに入れ、砂糖と、少しの水か炭酸水を加えて、砂糖を溶かし、ミントの香りを出すようにバースプーンで軽く押す。押しすぎてはいけない。ミントのえぐみが強すぎるからだ。
そこにバーボンを加え、たっぷりのクラッシュアイスを加えてステアする。氷が少し溶けて、バーボンがかっちりと冷える。
砂糖の量やミントの量はバーテンダーによって違う。シュガーシロップを使ったり、和三盆を使ったり。ミントの種類を変えるバーテンダーもいて、造り手によって様々な味が楽しめるのがカクテルの楽しいところだが、自分で作っても決して難しい酒じゃない。
バーボンとミントは、それだけで相性が良いわけではない。そこに、甘味を足すことによって、調和が取れる。
アメリカ人は、わりと「甘いもの」で酒を割ることが好きなようだ。Maker’s Markの蒸留所に行くと、試飲ブースにはソーダや水ばかりか、セブンアップやコーラまで並んでいて、好きなもので割ってくれと言われる。そんなもので割って、バーボンの味が分かるものか、とも思うのだが。
バーボンウィスキーは、スコッチに比べると、貯蔵に新樽を使い、甘いバニラやチョコレートの風味を前面に出す。スコッチは、バーボンやシェリー、ラムなどを一度貯蔵し、熟成させた樽の「中古」を使うことが多い。それぞれの樽によって、色も味わいも変わってくるのだが、そんなスコットランド人の流儀を、アメリカ人は馬鹿にする。ワインでも、アメリカでは樽の風味をきかせたものが好まれた。最近は、少し変わってきたが、それでもアメリカ人は極端なものが好きだ。
ミントジュレップも、ミントが前面に出て、甘味が加わり、そしてバーボンの個性をはっきりと出した酒だと思う。
ちなみに、「ジュレップ」というのは、もともと薬を飲むための甘いシロップのようなものを指す。
Just a spoonful of sugar helps the medicine go down in a most delightful way.
というわけだ。
『メリー・ポピンズ』見たことあるかな。
一方で、イギリス人はどうか。
ヨーロッパでは、ジンなどのスピリッツに薬草やスパイスの風味を付けることが好まれる。あの伝説の「アブサン」もそうだ。アニスの強烈な香りを付けたスピリッツは、アブサンだけでなく、パスティス、ウーゾ、ラキなどさまざまなバリエーションがある。ほかにも、さまざまなビターズやスピリッツがある。
イギリス人は何より、ジュニパーベリーの香りが付けられた、ジンを好む。
アメリカ人は、ジンを「ホリックの酒」と呼んで、最近では敬遠する。マティーニでもウォトカを使うし、ジントニックよりもウォトカトニックをのだが、けれど、イギリス人は、そのジンを呑むことが大好きで、なおかつ、クリエイティヴな呑み方をする。
いま開催中の、ウィンブルドンテニスに欠かせない酒、PIMM’S。
生い立ちを言えば、PIMM’Sは、1870年代に、ロンドンにあるオイスターバーのオーナー、ジェイムズ・ピムという人物が、いろいろなスピリッツをベースに作った酒である。ジンベースのNo.1から、ウォトカベースのNo.6まであるが、ポピュラーなのは、ジンベースのそれだ。
ジン・スリングを簡単に作るために考えられたと言われるが、いつの間にかオイスターバーのカウンターを飛び出して、一人歩きを始めてしまった。
競馬やポロの試合など、イギリス人は、短い夏の間にスポーツ観戦を大いに楽しむ。その観覧席では、多くの観客が、PIMM’Sの注がれたカップを手にする。
特に、夏の一番のイベント、ウィンブルドンはPIMM’Sと切っても切れない関係にある。
カップの中に氷を入れ、スライスしたオレンジ、ライム、苺などのフルーツとミントの葉を入れた中にPIMM’Sを注ぎ、レモネードで割る。それからもうひとつ、欠かせないのは、なんとキュウリである。
フルーツの甘味と酸味、香り、ジンの持つ、ジュニパーべリーの独特の癖、さまざまなリキュールの苦み。そういった個性の強い味わいを、キュウリのスライスがうまく調和させ、さわやかさを与えるのである。
日本でもひところ、焼酎にキュウリを入れて呑むスタイルが流行ったことがあったが、イギリスの方がずっと前から、そういうスタイルにたどり着いていたというのが面白い。
イギリス人は、このPIMM’Sが、本当に大好きだ。一説によると、ウィンブルドンの期間中にテニスコートの周りで呑まれるPIMM’Sは20万杯に登るそうだ。
個性が強いジュニパーベリーの香り、フルーツの酸味や甘味、それをまとめるレモネード、そして個性の強い要素を調和させるのが、キュウリ。
イギリス人が考えることは、なかなかに奥深いではないか。
苛烈な陽射しが照りつけるアメリカと、どことなくうすぼんやりとして、時には上着が必要なくらい冷えることもあるイギリス。夏の酒もまた、それぞれである。
文:坂井淳一
「職業は酔っぱらい」を自認するフードジャーナリスト。光文社BRIOの食べ歩き記事をはじめ、多くの雑誌でのレストランガイドを担当。「東京感動料理店」(共著)なども。「今日は何を吞もう」からメニューを考える「酒ごはん研究所」主任研究員。