【酒ごはん003】釣り師はいつもいい酒を飲めるということ

シロギス

魚の話をしようと思う。

世の中には、美味しいものを食べている人が大勢いて、みんなあちこちの料理屋に行っては写真を撮り、SNSで食べました自慢をする。読んでいるのも楽しいし、日本は築地を始め素晴らしい魚を流通させるシステムが整っているなあ、と感心したりもする。

一方で、なかなかそこには出てこないけれど、実は旨い魚というのはたくさんある。あるいは、一般的な魚でも、料理屋では味わえない食べ方というものもある。

こういう魚を食べられるのは、釣り師の特権。そんな話だ。

少し前に、日本橋の老舗和菓子店の若旦那と飲む機会があった。

ナショナルブランドというくらい名前が知られている店だから、そのプレッシャーも大変なものだと思った。変えるところ、変えないところ、いろいろ考えつつ、伝統と格を保ちながら、現代に商売を合わせるのは大変だろうけれど、だからこそ面白いのだ、と。

その彼は、釣りをする。

葉山に船を持っていて、結婚してからはなかなか海に行けなかったものが、今は子供をダシに頻繁に船を出すのだという。

かつては、葉山にある、ビーチサンダルで有名な雑貨屋の前のボート店で手こぎボートを借りては、沖に漕ぎだして、裕次郎灯台の付近でシロギスを狙っていたそうだ。今は自前のヨットがあるらしい。うらやましい話でもあるが、自前の船は維持するのも手間がかかるので、そんな余裕があったら道具にかけ、時間を作って足繁く海に通った方が楽しいかな、と強がりを言ってみたりもする。

いや、まったく強がりです。

シロギスの釣りは、エサ付けさえクリアできれば、初心者でも楽しめる手軽なものだ。海岸からの投げ釣りも楽しい。4m以上の長い竿を振り回して、100m、150mと仕掛けを遠投するのも爽快だし、手頃な竿で、ちょい投げでも釣れるところもいい。

ボートでは、先調子という、やや固めだけど穂先だけが柔らかくて魚信を取りやすい1.5mくらいの短い竿で釣ることが多い。釣具屋でリール付き1000円くらいで買える道具でも充分釣りになるが、「趣味の釣り」はそこに財力をつぎ込む魔力を持っているのだ。

あまつさえ、わざわざ魚信が取りにくい、ぶらぶらとした胴調子の竿を選ぶうつけものもいるから困ったものである。

俺のことだ。

魚信が取りにくい、難しい竿を使って、釣れるのではなく、魚一尾ずつをより分けて釣ることに価値を見いだしているのだから始末が悪い。釣り師には、腕はプロ、心はアマチュアであれという不文律がある。数を釣ればいいのでは無い。いかに自分が納得出来るか、そして自然と折り合いを付けながら楽しめるか、が重要なのである。入口は広く、奥は広い遊びなのだ。

もちろん、海の魚は食味も抜群だ。シロギスは天ぷらが一般的だが、釣り師は違う食べ方をする。釣りたてのシロギスは、ほんのりピンクがかった透明の身が美しい。型のいいものならそのまま糸造りでも、昆布締めにしても旨い。夏向けの、きんと冷やした純米酒と合わせるのはこの上ない幸せで、ゲスト(かつては外道と呼んでいたものだが最近はこう言うようになった)のメゴチやベラも美味しくいただけるのは釣り師ならではの楽しみである。

シロギスを釣っている最中には、ゲストのメゴチを活きエサに、もう一本竿を出すこともある。狙いはマゴチである。専門にマゴチを狙う釣り船もあり、「照りゴチ」と呼んで東京湾では真夏の人気の釣りものだが、シロギスの片手間で狙うくらいでも結構釣れる。これは、もちろん洗いでいただく。頭は甘辛く煮いても旨い。

 

シイラ

釣って面白い夏の魚と言えば、相模湾では、シイラというやつもいる。万力、マンビカーなどと呼ばれる力持ちの黒潮の魚だ。ハワイではマヒマヒと呼ばれる。夏になると平塚あたりの船宿がルアー(疑似餌)で釣らせる乗合船を出す。

シイラは素晴らしいファイターである。

船で沖のパヤオや流れ藻、流木、鳥の群れなどを探して船を走らせ、その近くにいる群れを見つけては、小魚を模したルアーを投げる。比較的水面に近いところを泳ぐ魚だから、ルアーを見つけて追ってくる姿が見える。チャートリュースと呼ぶ美しい色をした魚体が見えると、心臓の鼓動が早くなるのが分かるほど興奮する。やる気のある魚は、水面でしぶきを上げてルアーにアタックしてくる。ヒットしてからは、強烈な引で楽しませてくれるのだ。

ダイブ、横走り、そしてジャンプ。口にかかった針を外そうと、必死に抵抗する。大きい魚は1mを越えるので、易々と寄っては来ない。30分もかかることもある。道具に油断があったり、腕がないと、逃げられてしまう。

シイラゲームは、ダイナミックな魚とのやりとりもいいが、それ以外にもたくさんの楽しみがある。夏の、黒潮が入ってきた相模湾は、さまざまな魚に出逢える。スピードを上げてポイントに向かう船に反応して、トビウオが水面から飛び出す。シイラなどの大きな魚に追われたイワシの群れが目の前に湧き上がる。群れが一瞬のうちに姿を消した後には、はがれた鱗がきらきらと残って光っている。鯨やイルカ、シャチに出逢うこともある。そんな海の野生を感じながら、一日、炎天下の海を楽しめるのである。

暑いから水分を取ることも重要だが、氷を入れたクーラーボックスの中には、もちろんビールも用意する。だが、それ以上に欠かせないのは、素麺だ。クーラーの中でキンキンに冷えた素麺を取りだし、沖を眺めながらたぐるのはこの上ないごちそうである。もう、それだけで、魚なんて釣れなくてもいい、と思ってしまうほどである。

シイラも実は美味しい魚だ。ただし、すぐに身が柔らかくなってしまうので、市場に出て魚屋の店頭に並ぶ頃には塩焼きかフライでしか食べられない。大きいものならフィッシュ&チップスも旨いが、少し凡庸なイメージが強いだろう。だが、釣りたて、その日なら、これもなんと言っても刺身が旨い。脂が少し軽いブリ、と言った感じで、身もしっかりしている。わさび醤油でも旨いが、カルパッチョ風に仕立てるのもいいし、たっぷりのハーブと一緒に、サラダ仕立てにするのもいい。

一番のお勧めは、セビーチェだ。生のタマネギ、トマトなどをざっくり粗みじんに切ったものと、刺身より細かく切ったシイラの身、イタリアンパセリ、オレガノなどを加え、オリーブオイル、生の青唐辛子、ライムジュースで和える。アボカドを入れてもいい。冷蔵庫でしっかり冷やしていただく。セビーチェはメキシコやラテンアメリカの料理で、シイラは、アメリカの南でもポピュラーな魚だから、出逢いである。白ワインもいいが、マルガリータも楽しいな。

夏の、旨い魚は他にもたくさんある。

場所を東京湾に移せば、船釣りならばイサキがいいか。イサキ釣りは、寄せ餌を使いながらの釣りなのだが、キュンキュンと引き味がいいので人気がある。鰺と似たような釣り方だが、泳層が浅いので、流行の電動リールなどは必要ないし、比較的軽い道具で楽しめる。

イサキは、何より旨い魚である。千葉でも、伊豆でも釣れるのだが、関東では「東京湾のイサキが一番旨い」と言われる。だから、型が少し小さくても、東京湾口のイサキ釣りが人気なのである。「梅雨イサキ」と呼んで、梅雨入りの6月頃から、子も持って一層味が良くなるので、雨の中でも船に乗る。しかし、梅雨明けの真夏の釣りの方が、気分的にはいい。

イサキはよく「皮の下についた脂が旨いから焼き魚で」と言われる。おそらく、和食の料理人の中では定番の料理法だろう。しかし、釣りたてのイサキを、丁寧に活け締めにして血抜きまですると、当然刺身がいい。最近流行の「神経締め」ができればベストである。もちろん、皮の下の脂が旨いのは当然で、三枚におろしたあと、刺身にするときには皮付きがいい。バーナーやガスの直火で皮目だけをさっと炙って、焼き霜造りにするのもお勧めである。酢橘などをさっと絞って口に入れると、皮の香ばしさ、脂の滋味、そして身の軽やかな旨味が一杯に拡がる。清酒でも、ビールでも、白ワインでも、なんでも旨い。

また、イサキは洋風の料理にも良く合う魚だ。一番手軽なのは、香草焼きである。鱗を落とし、エラと内臓を取り出したイサキに塩をして少し置いてから、腹に香草を詰める。タイム、オレガノ、フェンネル。好みでいい。それを、水平に半分に切ったニンニク、ジャガイモ、ペコロスなどと一緒に耐熱容器に入れ、オリーブオイルをたっぷりかけ回して、オーブンで焼くだけである。時々、容器のなかのオイルをスプーンなどですくい、魚が乾かないようにかけてやるといい。丸ごとテーブルの上に並ぶので豪華だし、パーティにもぴったりの料理だ。カバでも開けて焼き上がりを待っているのが楽しい。

もうひとつ。東京湾ならではの魚がある。

穴子である。

品川や江戸川から、5月から8月くらいまで、半夜釣りの穴子の船が出る。東京湾以外では、穴子釣りを専門にした船というのはない。夕方5時くらいに出船して1時間ほど走り、千葉の大貫沖あたりで釣らせる船が多い。これも「難しい」釣りではないのだが、上手い下手に差が出る。10時には港に帰る、短時間勝負の釣りで、初心者でも4¥□5本、上手く行けば「つ抜け」と呼ぶ10本以上釣れることもある。つ抜けというのは、ひとつ、ふたつと数えていって、ここのつまでは「つ」が付くが、「とお」からはつが付かないので、釣り人の間で「まずまず釣れた自慢」として使われる言葉だ。

そして、名人は、初心者がそこでがんばっている間に、二本、三本と竿を出して次々に釣っていく。

夜釣りだから、幾分涼しいというのもあるが、この釣りが人気なのは、なんと言っても穴子が旨いからに他ならない。

沖上がりをして、船宿に戻ると、宿の女将さん達が釣った穴子をすべて捌いてくれるのだ。天ぷら屋や鮨屋で並んでいるように綺麗開いてあるので、家に持って帰ったら、酒と塩を振って、オーブントースターかガスのグリルでさっと焼くだけでいい。釣りたての穴子の白焼きというワケである。骨も別に付けてくっるから、それを素揚げして塩を振れば骨煎餅である。酒、醤油、みりんで作ったたれを塗って穴子を焼けば蒲焼きだし、それをざくざくと切ってキュウリの薄切りと和え、酢の物にしてもいい。

なにしろ、捌いてあるということで、調理の手間も敷居も低いのである。

東京湾の穴子は、あまり大きくない、皮の薄い柔らかいものが上物とされる。東京では、穴子は主に鮨屋が煮穴子で使ったり、天ぷら屋が使うからだ。一方で、瀬戸内の穴子はもっと大きく、身もしっかりしている。最近では、穴子の名所、明石では「でんすけ」と呼ぶ大きな穴子を推している。

最後に、釣りをしない人にひとつだけ。

明石の穴子は旨い。東京湾のそれとか違って、身がしっかりして、味わいも深い。

アナゴ

明石の穴子は、なんと言っても「焼き穴子」が一番だ。開いて、頭が付いたまま数尾を串打ちし、それを炭火で焼き上げる。やや大ぶりのものが美味しい。おもしろいのは、焼いている最中に、鉄製の蓋のようなものを載せることだ。これは、おそらく活きのいい穴子を焼くと、身がそっくりかえるので、それを押さえるためだと思う。

明石の目抜き通りにある魚の棚(うおんたな)という、魚屋が並んでいて活きたタコが歩道を逃げ回る商店街には、この焼き穴子の店が何軒かある。炭火で、蒲焼きのようなたれに付けて焼き上げる。

お土産にもいいし、取り寄せが出来る店もある。お勧めは林喜商店という店で、オンラインショップもある。届いたら添え付けのたれをさっと塗ってガスかオーブントースターでさっと炙って温める。これを、炊きたてのご飯にのせて頂くのが、この上なく旨い。

もう一つおまけ。明石には、イカナゴの新子を煮いた「釘煮」という名物があるから、ぜひ一緒に注文するといい。これも白飯に合うが、玉子かけごはんに載せるのが最上だ。

ひゃー、と声が出るほど旨いぞ。

 

 

文:坂井淳一
「職業は酔っぱらい」を自認するフードジャーナリスト。光文社BRIOの食べ歩き記事をはじめ、多くの雑誌でのレストランガイドを担当。「東京感動料理店」(共著)なども。「今日は何を?もう」からメニューを考える「酒ごはん研究所」主任研究員。