【酒ごはん004】『酒ごはん』とはなにか

ビール

編集長に「早く原稿を書け」と言われていたのに、しばらく間が空いてしまって、誠に申し訳ないことである。ビール一杯奢りますから赦してください、いやほんと。

というわけで、編集長からは「前回の『酒ごはん』に出てきた『海上ソーメン』が旨そうだったのでメンの話を書け」と言われていたのでそうするつもりだったのだが、季節は巡り、もはや秋まっただ中、もう冷たい麺の季節でもないので、別な話をします。

さて。

料理をするということはとてもクリエイティブな作業だ、とよく言われる。

確かに、何を作るかということを考え、食材を調達し、手順を考え、切り方や火の入れ方、器、盛りつけまで考え、さてそれにどんな酒を合わせよう、というところまであれこれ逡巡するのは、とても楽しいし、知的な感じがする。

俺の屋号の「酒ごはん研究所」というのは、毎日の食事を決めるときに、何を食べたいかではなく、今日は何を呑もう、ということから考える俺のプロトコルから付けた名前だ。

「今夜はとんかつ食いたい」とか、「焼肉食いたい」とか「血の滴るステーキだ」とかそういうところから食事を決めるのではなく、身体が発する声に耳を傾けて、いったい今日はどんな酒を呑みたいのか、という言葉を確認するところから食事が始まるという、いわば遊びである。いや、単に酒呑みなだけですが。

今日はビールが呑みたい、と考える。

そのビールはどんなものなのか。

日本の、キンと冷やして、ごくごくと喉を鳴らして呑むシャープな味わいのビールがいいのか。あるいは、豊かなフレーバーを持った、ベルギーのホワイトビールがいいのか。こくもあり、切れもいいIPA(インディアン・ペール・エール)を呑みたいのか。ビールには様々な顔があり、味わいがあり、どれを呑むかによってどこに行くかが決まってくる。IPAならば、クラフトビールを扱っている店か、ブリュワリーパブに行くしかない。最近は、大阪・北堀江にある「MARCA」というブリュワリーパブのビールがお気に入りだが、大阪まで新幹線で行くわけにもいかないので、東京ではたしかアソコの店にあると言っていたな、と出かけることになる。ベルギービールなら、いくつも東京にはビアカフェがあるので、そのなかで、フリテン(マヨネーズで食べる揚げいも)とムール貝の旨い店を選ぶことになる。

日本のビールなら、それはもう居酒屋が一番だ。ただし、実はちょっと難しい。まず、グラスやジョッキを、他の食器と別で洗っている店を選ぶこと。手洗いならスポンジを、食洗機を使うなら、最低でも別々に洗っている店を選ぶ。

というのも、居酒屋は、刺身や焼き魚を出す店が多いから、それと一緒に洗うと、生臭さがグラスに移るからだ。じつは、店員はあまり気づかない。というのも、自分の手は、常に魚を触っているし、皿を触っているから、そういうニオイに少し鈍感になるからだ。だから、時々「グラスが生臭いから変えてくれ」と言うと怪訝な顔をされることもある。清酒のグラスも一緒だ。生臭い清酒ほど呑めないものはない。うるさいと言われるかも知れないが、そういった所に気を遣っている店は、隅々まで意識が行き届いている。それだけで、通う価値がある。外国人にも勧めやすい。実は、日本人は意外なほど、この魚の生臭さに鈍感で、外国人の中にはそれが苦手だ、というヤツも少なくない。

ちなみに、居酒屋で外国人客がオーダーに困っている、という光景を目にすることがある。最近は、海外からの客が増えて、彼らは彼らなりに情報を持ってくるので、気軽で地元の人間にもふれあえるという居酒屋に来てみたかったのだ、と言う。しかし、ローカルな店のスタッフはもちろん英語も中国語も出来ないし、メニューもほぼ日本語だ。

席に通されても、何をどうしたらいいかも分からない。

というわけで、ひとつだけ助け船を出す。

「ナマイッチョーと言いなさい」

こう言うだけで、外国人相手でひるんでいた居酒屋のお母ちゃんはホッとして、あれこれ日本語で話しかけてくる。生ビールが1杯出てくることで、彼らもホッと出来る。あとは、周りで食ってるモノを指さすだけでいいのだ。みなさんにも外国人のお友達はいらっしゃるでしょうから、彼らに教えてあげてください。覚えるべきはコンニチハでもコレイクラデスカでもコンバンデートシマショウでもなく、ナマイッチョーである。

話を元に戻す。

さて、外に出る場合は、酒を決めるだけでいい。イタリアのワインが飲みたいならイタリアンレストランに行けばいいし、シェリーを飲みたいならバルに行けばいい。酒を選ぶことで「行くべき店」はだいたい決まっていくし、あとは財布との相談、時間との相談で絞り込める。そこで何を食べるかは、店に行ってメニューを見るだけでいい。

もっと楽しいのは、家呑みである。

さて、何を呑むかと決めた後に、ではそれに合う食べ物は、ということを考える。冷蔵庫を開け、ストックしてある保存食や乾物も調べ、なにを作ろうかと考え始めるわけである。食材が足りなければ買いに行けばいいが、足りないなりに考えるのもいい。

俺の中では、ひとつだけ、ルールを決めている。

それは、酒に合う、合わないと言うだけでは無い「文脈」で縛る、ということだ。

「家呑み」「家庭料理」というと、どうして「何でもあり」になってしまいがちである。例えば清酒を飲もうと決めたにもかかわらず、料理はサラダ、刺身、ステーキ。そんな脈絡のない料理が並ぶことは、少なくない。ごちそう集めました。それはいい。でもそれはどうしてその酒に合うのかという以前に、清酒がどういうルーツを持っていて、どう呑んで欲しいのかという造り手の気持ちを踏みにじってしまう気がするのだ。

ステーキを作るのだから、牛肉がある。刺身もある。生野菜もある。であれば、清酒に見合う、日本的な文脈で料理した方がいいではないか、と。

ステーキ肉は、ころんと切って串に刺し、フライパンで焼いてもいいし、ガス台のグリルで焼いてもいい。焼きすぎは禁物なので、レアに焼く。それをどう食べるか。例えば俺の部屋には、醤油、麹、生の青唐辛子を1対1対1で漬けた、自家製の「三升漬け」というものがある。もう5年も漬け込んであるが、漬けて1か月くらいで食べられる便利なものだ。冷や奴にこの唐辛子の部分を載せて食べるのはたまらないし、醤油部分は唐辛子の辛みと麹の旨味、甘味が加わって、極上の調味料になる。これを一はけ塗れば、なかなか旨い和食の串焼きになる。あるいは、ニンニクと唐辛子を加えた味噌を酒で少し溶き延ばして塗ってもいい。塩とわさびでもいいし、小口切りのネギや薄切りのタマネギを載せてポン酢、というのも悪くない。いい柚子胡椒があれば、それだけでもいい。清酒の文脈から、そういう「和」のバリエーションは、簡単にいくつも引き出せる。

生野菜も同様だ。できあいのドレッシングをかけるだけじゃつまらない。例えば清酒でしかこなせない生臭いモノ。たらことか、辛子明太子とか、そういったものをほぐして、酒で延ばして和える。あるいは、塩昆布と一緒に揉む。もっと手間を掛けるなら、例えばキャベツなんかが楽しいのだが、さっと茹でて、カツオと昆布、醤油、酒、和辛子、酢を合わせて和える。清酒には、生よりも、さっと火を通してしんなりしたテクスチャーの方が合うし、和の文脈に沿っている。

これならどうだ、そこに刺身が加われば、ちょっとした和食のコース仕立てのようにもなる。

ステーキ

ワインにしてもそうだ。できるだけ産地を考える。フランスワインなら、フレンチの仕立てで。牛肉は、ステーキでいい。塩としっかり胡椒をした肉を、たっぷりのバターで焼いて、肉を引き上げて休ませている間に鍋に残ったバタ―に、これまたたっぷりのブランディを注いでフランベをする。

前菜のサラダは、例えば春菊とリンゴ。ディジョンマスタード、ヨーグルト、マヨネーズなどで簡単なドレッシングを作って和えるだけだ。ちょっとクルミなんかを入れてもいい。

刺身は難しい。魚がどうしても欲しいなら、スモークサーモンがいいかもしれないし、もしどうしてもというなら、白身の刺身で柿を巻いて、柑橘を搾り、塩、ピンクペッパーなどを振って出しても悪くない。ともかく「お醤油で刺身」は避けたい。

イタリアワインなら肉はオリーブオイルで焼くし、あるいはタリアータにする、格子ではないけれどミラノ風のカツレツとか、サルティンボッカとか、いろいろ考えられる。

魚はパスタに使えばいい。サラダも、エクストラバージンオイルの味わいと香りをたっぷり味わえるシンプルなドレッシングに、ピーラーで薄く削ったパルミジャーノを載せたりすればいい。

そうやって「縛り」を設けることで、自分が何を呑んでいるか、何を食べているかということを意識できるようになる。「オイシイ」のコンテキストが自分の中に生まれるわけだ。

そして、時折「何を呑んだらいいか分からない」という時がある。

酒は呑みたい。だけどもう、心が疲れていたり、仕事で頭がヘろへろになっていて何も考えたくない、という時だ。

そんなときは、自宅居酒屋を開店する。もう、あるモノを何でも呑む。何でも作る。

それでも、酒ごはん研究所的には、やはり「何を呑むか」から決めたい。一番のお勧めがある。それは「だし割り」という、恐怖の酒だ。

出汁

焼酎。甲類でも構わないし、乙類にこだわるなら、クセが少ない麦焼酎がいい。芋や米はあまり合わない。

そして、大ぶりのグラス。デュラレックスの大きいもの、みたいな分厚いのがいい。

さらに、鰹節、出し昆布、するめ。

グラスに、細切りにしたするめ、小さく切った昆布、鰹節を入れ、そこに熱湯を6分目ほど注ぐ。そしてのこりを焼酎で満たす。

これだけである。

カツオと昆布のだし、そこにするめのだしとほんのりとした塩気が加わった所に、焼酎が加わる、魔法のお湯割りである。グラスの中に入れただしの「素」は、大体2~3杯は旨味を出し続けてくれる。そこで出がらしになったら、それを取り出し、新しく入れてまただし割りを作る。

カツオと昆布は取っておいて、あとで空煎りし、醤油で味を付ければ上等のふりかけである。そして、酒でふやけたするめは、醤油とマヨネーズで酒のアテになる。

エンドレス。怖ろしいことである。

三杯も飲めば、からだは暖まるし、心も弛む。元気が出てくる。

そこで、やおら冷蔵庫を開けてみるといい。あるいは、買い置きの缶詰を見てみるといい。

ツナやホタテの缶詰があればしめたものだ。それを具に、オムレツを焼ける。もちろん玉子だけでもいいけれど。

ネギと肉があればそれを炒めてもいい。トマトなんかがあれば最高だ。豆腐があれば、さっき言った「三升漬け」を載せてそれで一品だ。蕪があれば串切りにして、味噌を付けて食べてもいい。冷蔵庫の余り物や半端物を、このさいだから一気に片付けてしまう手当たり次第の大料理大会に発展させよう。

冷凍のご飯があればチャーハンを作ってもいいし、冷凍うどんや焼きそばの玉があれば、俺なら能登のいしりと柚子胡椒を使って焼きうどんを作る。

じつは、一番クリエイティブな料理というのは、こういう、手当たり次第の居酒屋料理大会で生まれのるかも知れない。

 

文:坂井淳一
「職業は酔っぱらい」を自認するフードジャーナリスト。光文社BRIOの食べ歩き記事をはじめ、多くの雑誌でのレストランガイドを担当。「東京感動料理店」(共著)なども。「今日は何を呑もう」からメニューを考える「酒ごはん研究所」主任研究員。