「ザ・レスラー」

「ザ・レスラー」
監督:ダーレン・アロノフスキー
製作国:2008年 アメリカ

「ザ・レスラー」

「ザ・レスラー」

もっともっと、ダラダラな泣かせの映画と思いきや、泣かせの要素は案外控えめ。
レスラーの映画であると共に、ミッキー・ロークの映画でもあって、もうそれが最初から気になって気になって、ミッキー・ロークから目が離せなくなってしまうのだ。

でもよく言われているような、落ちぶれてたミッキー・ロークがこの映画で復活したってトコじゃなくて(だって「シン・シティ」でもすっごい良かったよ?)、あんな二枚目のセクシー俳優も、ここまで肌とか風貌が衰えるんだな、とか、プロレスのシーンはともかく、よくぞここまでリアルに“衰えたレスラー”のカラダになってるな、とか、ミッキー・ロークそのものの悲哀を観ているうちに、いつの間にか、あ、ボロボロのダウンジャケットの綻びがまた繕われてる、とか、ずいぶん髪が痛んだな、とか、そのままランディの悲哀に目が行って、ミッキー・ロークがレスラーだったような気になってくる。
そして、これがまんまドキュメンタリー映画だったかのような。

ドキュメンタリー映画としては、「ビヨンド・ザ・マット」がある。
その中のエピソードのひとつとして、落ちぶれたジェイク・ロバーツが場末のリングに上がり、疎遠になっていた娘と決心の末に会って、そこでもまだ虚勢を張っているバカさ加減には素直に涙が出たし、ミック・フォーリーが家族のためにマットを降りる決意をしつつも、観客の声援が忘れられずに苦悩する姿にも泣けた。テリー・ファンクが、ボロボロの老いた身体をひきずって小さな会場でデスマッチに挑む姿には、レスラーとしての業を見せつけられた。

「ザ・レスラー」はドキュメンタリーではない。
でも、ミッキー・ロークの存在が、彼の肉体が、顔が、皮膚の質感が、この映画を仮想ドキュメンタリーとして成立させてしまっている。
「ザ・レスラー」は、文字通り、とあるレスラーの物語だ。
そして、ストーリー自体は、とてもシンプルだ。
ランディが出場していたようなレストランやバーで、大した客も入らない興行で、本物のレスラーたちは皆カラダを張っている。
ネクロ・ブッチャーは本当にガラスの破片だらけになり、血まみれになって1ドル札をホチキスを額に留め続けている。
だからきっと、物語はありきたりなものでいいのだし、過剰な泣かせの演出もいらないのだ。

プロレスを知らない人が観ても面白いのかな?
うーん、多分面白いと思う。
でも、ミッキー・ロークも知らないとしたら…どうかな?

全国公開からしばらく経って、この映画を最初に観たのは目黒シネマだった。

ミッキー・ロークを知らないとしたら、いい映画だ、とは思うだろうけど、あの悲哀は3割減になるかも、と思った。

目黒シネマのスタッフもそう思ったのか、ミッキー・ロークを解説するコーナーが作られていて、わざわざ「ナインハーフ」のポスターが貼られていた。

とびきりオシャレでカッコ良かった時代のミッキー・ロークが写っている「ナインハーフ」のポスターを。誰かの人生を傍から見つめ、その波乱に感じるドラマ性や感動は、いつもちょっと意地悪だ。

 

(文:吉田メグミ)

 

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