『夏目漱石、読んじゃえば?』
著者:奥泉 光
出版社:河出書房新社
ISBN:4309616925
漱石の小説を具体例として挙げ、小説の読み方、楽しみ方を「読み手」を中心に考え直すための読書法ガイドブック。
本をたくさん読まれる人でも、「小説はあまり読まない」とおっしゃる方は案外多いのではないか。「わざわざ活字で物語を読む必要なんてあるの?」という子供もいる。マンガやテレビのアニメが大好きなのに。確かに今は優れたマンガや映画から物語をたくさん味わうことができるから、わざわざ小説を読むなんて面倒くさい、という気持ちもわかる。
けれど読書に関わらず、携帯ゲーム機で遊ぶのだって、スポーツや囲碁を楽しむのだって、本当に楽しもうとすれば、ある程度の労力が必要だ。練習して上手になる、知識を集めることではじめて面白さも分かってくる。同じようにして、著者は「小説は紙についたインクの染みから読者が自分の世界を作って、それを自分で面白がるものなんだ」と言う。
例えば私たちが一冊の小説を読んだとする。読み終えて、ストーリーが良く作り込まれていたとか、登場人物たちの考え方に共感できたとか考える。だから小説を読む時は身構えて、きちんと本の冒頭から最後まで、正確に順を追って読み進めなければならないと考えてしまう。もしかすると、小説が苦手な方はそういう身構えが苦手、ということなのかもしれない。
ところが本書では、読書をするうえで一番大切なのは「全部読む」ことはではない、と言う。そのためにまず漱石の『吾輩は猫である』を読んでみることを勧めてくれる。
確かに『吾輩は猫である』には、これといったストーリーがあるわけではない。苦沙弥(くしゃみ)という人物の家に住む猫が、見聞きしてきたエピソードをあれこれ語る、というものだ。小説のストーリー全体を把握しながら読み進めるよりも、部分を読み、細かいところを面白がる。そんな読み方をするために『吾輩は猫である』は最適だというのである。
こんなふうにして、夏目漱石のそれぞれの作品を例に挙げながら、小説をもっと自由に読んで楽しむ方法を本書はガイドしてくれる。『草枕』『夢十夜』『坊ちゃん』『三四郎』『こころ』『思い出す事など』『それから』『明暗』。「先入観を捨てて読んでみたら」「脇役に注目してみたら」「作者の実験精神を探ろう」「傑作だなんて思わなくてもいい」と、各章それぞれにテーマがあって、それを中心に解説されている。まだこれらの小説を読んだことがないなら、先に解説を読んだあとで、自分に向いていると思われる作品を探してもよい。夏目漱石の本なら学校の図書館でかならず見つかるし、著作権保護期間が終了しているので、「青空文庫」など、ネットからテキストをダウンロードして読む事もできる。
本書で繰り返し説いているのは、その小説が面白く読めるかどうかは読者自身にかかっている、ということだ。つまり小説の「面白さ」を作っているのは、実は読者自身のほうなのだという。
例えば、むかし読んだ時はつまらないと思った本が、時間を経過して読み直してみると驚くほど面白い作品だと感じることはよくある。私たちの感覚は絶対的なものではないので、私たちの中の変化がその作品の面白さを発見する力を作り出してくれたのだ。その力を「読解力」という。
読解力を身につけるには、いろいろな経験に加えて、たくさんの作品に触れることだったり、名作と言われる歴史的な作品についての知識を深めてゆくことも重要だろう。ちょっとだけ読んでみて、自分の感性に合わないと思っても、それはあなたの「今」の感覚にしか過ぎない。そしてツマラナイのを作者や作品のせいにしては、いつまでたっても読解力を身につけることはできない。
自由に楽しむ、ということは実は奥が深くて、面倒くさい。しかしそれに見合うだけの楽しさがある。本書はその手がかりやコツを教えてくれる本だ。このことは小説に関わらず、芸術や音楽、映画を鑑賞する時、さらにはスポーツや学校の勉強にだって応用できるだろう。
★2015年6月20日発行 ココカラ本誌14号の掲載記事を再録しました。
文:大杉信雄
1965年、三重県生まれ。
良いデザイン、優れたインターフェイス、使う楽しさを与えてくれる製品を集めた提案型の販売店「アシストオン」店主。
http://www.assiston.co.jp