『ドミトリーともきんす』

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『ドミトリーともきんす』
高野 文子 著
中央公論新社 刊
ISBN 4120046575

朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹――テーマは科学者たちの言葉――高野文子最新コミックス。

ともきんす

『ドミトリーともきんす』

 

 

科学に関するニュースは多い。ノーベル賞には毎年のように日本人科学者が選ばれ、先端的なスマートフォンには日本製の部品が多く作られているという。その反面、遺伝子技術の偽装問題が世間を賑わせる。そして原発事故や食品問題の真偽については、小さな子どもを持つ親にとっては心穏やかではいられない。これも科学の先端の国、日本の毎日だ。

科学の進歩によって私たちは多くを得たが、それらの知識はどんどん細分化され、より専門化して複雑になった。ひとつの発見によって2つの疑問が生まれ、その疑問の解決によってまた疑問が生まれる。科学は分析を続け、あらゆる事柄を細かく分けてゆく。私たちが小学生の理科の教科書が説明してくれたシンプルなひらめきは、自然の秘密の理由が分かる喜びは、どこへいったのか。

雑誌「Hanako」に連載されたマンガ「るきさん」などの作品で知られている高野文子の最新作コミックスがこの『ドミトリーともきんす』である。寮母のとも子さん、小さな娘のきん子ちゃんが管理している小さな下宿屋。そこに部屋を借りているのは、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹―。その後、物理学や自然学で大きな足跡を残すことになる、実在の5人の科学者。その若き日の彼らが一緒に暮らす。異次元の世界のような不思議な下宿屋で繰り広げられるお話である。
若き日の科学者は、とも子さんときん子ちゃんに科学の不思議な話を聴かせてくれる。そして、とも子さんも下宿生たちのことをよく理解していて、彼らの本の一説を選んで私たち読者に読んでくれるのだ。

「花は黙っています。それだのに花はなぜあんなに綺麗なのでしょう。なぜあんなに快く匂っているのでしょう。思いつかれた夕など、窓辺に薫る一論の百合の花を、じっと抱きしめてやりたような思いにかられても、百合の花は黙っています。そしてちっとも変わらぬ清楚な姿でただじっと匂っているのです。(中略)あなた方はただ何の気なしに見過ごしていらっしゃるでしょうが、植物たちは、歩くことこそできませんがみな生きているのです。合歓の木(ねむのき)は夜になると葉を畳んで眠ります。ひつじぐさの花は夜閉じて昼に咲きます。豆の蔓は長い手を延ばして附近のものに捲きつきます。一枚の葉も無駄にくっついてはいないのです」

日本の植物学の父と言われた、多くの人が知る近代植物学の権威、牧野富太郎の文章の一部である。ここで語られるのは、物事をただ細分化してゆくだけの科学ではない。5人の科学者の豊かで美しい「言葉」につぎつぎと出会ううちに、あなたはこの科学者たちに「詩」を生み出す力があったことに気づくだろう。

すぐれた「詩」とは森羅万象を包み込み、曖昧なもの、相反するものを統合しようとする言葉のことだ。万物を分析してゆく科学。世界を包み込み、ひとつにしてゆく「詩」。優れた科学者だからこそ、優れた言葉、卓越した詩の感性を備えていたのだろう。そしてその明晰な頭脳の中でそれぞれが調和し、バランスをとっていたとしても、何ら不思議ではない。そして、今、現代の先端科学を生活の中に取込んで生きてゆかなければならない私たち、そして子どもたちに必要なものもまた、優れた「言葉」であることはいうまでもない。
体裁はコミックスであり、それぞれの科学者の解説、さらに読むべきブックガイドも充実していて読みやすい。小学生高学年から理解出来る内容だろう。5人の科学者は小中学校の理科の教科書に登場する人物なので、理科系の読み物が苦手な方に特におすすめしたい一冊だ。

★2014年10月20日発行 ココカラ本誌10号の掲載記事を再録しました。

 

文:大杉信雄
1965年、三重県生まれ。
良いデザイン、優れたインターフェイス、使う楽しさを与えてくれる製品を集めた提案型の販売店「アシストオン」店主。
http://www.assiston.co.jp