「この国で自死と向き合う」

この国で自死と向き合う 」

篠原鋭一:著

ヒトリシャ:刊

 

篠原鋭一「この国で自死と向き合う」

篠原鋭一「この国で自死と向き合う」

 

曹洞宗長寿院の住職である著者は、これまでおよそ20年、自ら死を選ぼうとする人々の相談先としてお寺を開放し、15歳から80歳を超える8000人以上の人々の「死にたい」という気持ちに向き合ってきた。

ひとくちに「相談に乗る」と言っても、それは生半可ではなく重い活動である。夜となく昼となく「死にたい」という話を聞かされ、ひとりひとりの話を聞き、ともすれば深くまで関わりあって話を聞き行動を共にして、それでも何の甲斐もなく死なれてしまうこともあっただろう。

なぜ著者が「自死と向き合う」ことに決めたのか、いかにして自死と向き合ってきたのか。それは「おわりに」に記されている【活動の理由】の中からもハッキリとうかがえる。

①僧侶という配役をいただいているからです。

②仏教は生きている人のために説かれた教えであり、亡くなってからでは遅いからです。

③「お寺」という得がたい環境をお預かりできているからです。

(252pより引用)

全編を通して読みやすく、やさしい筆致で綴られているその理由と考え方は、そのまま「仏教とは何か」というお話でもあり、宗教がどうのとか宗派がどうのではなく、単純に「信心すること」がどれだけ強さになるのかということを教えてもくれる。

本書には、実際に著者が相談を受けた数人の具体的なエピソードも記されている。なぜ気持ちが死に向かうようになったのかの理由はいくつも出てくる。それは借金であったり、就職難であったり、DVやハラスメントに追い詰められての事だったりする。シビアではあるが、珍しいことではない。そして「珍しいことじゃないじゃん」という我々の無関心こそが、彼らを死へと追い詰める。

タイトルの「この国で」という言葉には「年間3万人もの人が自ら命を経つこの国で」という現実が込められている。

不況とはいえ、うつくしい四季があり、水も食べ物も豊かで治安もよく、なんだかんだ生きやすい国であるはずの日本で、主要先進国の中ではロシアに次いで高い自殺死亡率を算出する事態に陥っているのはなぜなのか、どうしたら自ら命を経とうとする人々を生に向かわせることができるのか、どうぞ目をそらさずに、まずはこの本と向き合ってみて欲しい。

(文:中高下 惠)