THE LAST BAUS

2014年6月10日で閉館する吉祥寺バウスシアター。
閉館まで、いよいよあと3週間をきりました。
ココカラ本誌連載中の、映画監督・篠崎誠によるコラム「映画(あなた)にここにいて欲しい」。
現在配布中の7号では、バウスシアター閉館に寄せての思いが綴られています。
よりたくさんのひとに読んでいただき、よりたくさんのひとにバウスシアターを見送ってもらえるように、ココカラWEBでも全文掲載!
(編集部)

 

 

子供の頃に映画を見る方法はふたつしかなかった。映画館に行くか、テレビで見るか。そのふたつにひとつ。正確にはもうひとつ映画の巡業というのもあって、学校の講堂とか体育館に業者が16ミリとか、35ミリの映写機を持ち込んで上映という形態もあったが、まあ、学校の先生がお奨めする映画なんて面白いわけがない(あ、言っちゃった)。

レンタルビデオやDVDもなかったし、CSやBSの映画専門チャンネルもなかったから、映画との出会いは文字通り一期一会だった。今見ておかないと、この先いつ見ることが出来るのかわからない。だから映画を見ることを最優先にしていろんなことを犠牲にもした。アホだった。もしもタイムマシンがあったら、映画館の入り口でいそいそとチケットを買おうとしている若き自分の襟首をつかんで、「こんなくっだらない映画見なくていいから。思い切って好きな子をデートに誘え。ただし、デートするなら映画館以外の場所で!」と説教するに違いない。

 でも、考えたら20歳くらいの頃の自分は、明らかに今の自分よりも体力があって腕っぷしも強かったろうから、殴り返されてしまう気もする。それは馬鹿らしいや。どうせタイムマシンがあるなら、あの時、心理学科の飲み会に行ったせいで見損なったジョン・フォードのサイレント映画を見た方がいいな、やっぱり…。いかん。妄想が別の方向に。

 

とにかく、当時映画を見るという行為は、巻き戻しも一時停止も出来ないし、眠ってもいけないという緊張感があって、おまけに見るのにはお金もかかるから、どの映画を見るべきなのか選ぶのも必死だった。だからこそ、当時見たいくつかの映画は今なお鮮やかに記憶に残っている。単に年をとったせいで記憶力が減退したわけではないのだ(日々脳細胞が死んでいるのは事実としても)。

同じことは映画館という場所にも言える。今や企業のシネマコンプレックス戦略がこの国を覆い尽くしている。どこにいっても同じような造り。東京だけでなく、地方の駅の周辺も似たり寄ったりな感じになってしまったのと同じだ。別に小便臭い映画館が懐かしいと言ってるわけじゃない。そりゃ、トイレの匂いなんて誰が好き好んで嗅ぐもんか。2本立ての映画で、1本目を見ている途中からバネで尻が痛くなるような椅子にも出来れば座りたくはない。

でも、当時の映画館には自由がまだ残されていた。途中から入って、次の回の見損なった場面まで見て出ることも出来たし(当然2度目は途中で出る時に他の人の邪魔にならないように端の席に座ったものだ。そうやって子供だった自分は社会道徳を学んだのだ)、気に入れば、朝から何度も同じ映画を見ることだって出来た。
前の席に座高がとてつもなく高い奴がくれば、聞こえるか聞こえないかの微妙な舌打ちをして、そいつの前の席に移動することだって出来たし、発酵食品のような足の匂いのする奴が近くに座れば、大急ぎで危険区域外の座席に移動することだって出来た。

なんだい最近の「一度決まったお席は変えられません」って。何様のつもりだよ。なんでガラガラの映画館で、座席ひとつあけて、クチャクチャとポップコーン食べながらしゃべり続けるカップルの隣にいなきゃいけないのか。ムガーッ。となぜか水木しげる風の擬音で怒りたくもなろうというものだ。

人間の顔がひとつひとつ違うように映画館もひとつひとつ違う。どの映画をどこの映画館で見たか、場合によっては、どのあたりの席で見たのかもハッキリと覚えていたりする。朝から映画館に入り浸っていて、外に出たら真っ暗だったり、逆にオールナイトで映画を見て、しらじらと明けてきた光の中をポツリポツリと駅に向かったり。なんか、それをひっくるめて「映画を見た」ということのような気がするのだ。映画を見る、というよりも映画に出会う。映画を体験する。そんな感じだ。周りが真剣に見ている中でどうしようもなく笑ってしまったり、みんな笑っている中で、ひとり涙をこらえたり…。みんなと同じ時間を共有する愉しさと、周りとは違う孤独な自分を発見する密やかな悦び。どちらも本当のことだ。

 

なので、自分の馴染みにしている映画館がなくなってしまうのは、大げさでなく自分の体の一部がもぎ取られてしまうような痛みと寂しさを感じてしまう。

 

今年6月で閉館を迎えようとしている吉祥寺のバウスシアターは、その中でも自分にとって本当に特別な存在だ。大学を出て最初に渋谷の映画館で働きだして、その頃から劇場どうしの付き合いがあって、チラシの交換などでほぼ毎月お邪魔していた。約30年近い付き合いになる。

当時のスタッフに相談を受けて、その頃はまだ一部の映画マニア以外には無名に近かった黒沢清監督の8ミリ映画の特集を組んだり、『ロッキー・ホラー・ショー』のリバイバル上映では、その映画の主題歌にちなんでSF映画とホラー映画の特集を組んでプログラムの選定からチラシの原稿書きまで手伝った。

観客としても、ロードショーで見逃した面白い映画を丹念に拾って上映してくれるので見ることが出来たし、毎年、爆音映画祭がとても楽しみで、そこで旧知の友人たちと会って、映画を肴においしいお酒を飲むのはこの上もない楽しみだった。

 

あまりこういうことは愚痴めいていて書きたくないのだが、映画作りは楽しいことばかりではない。映画に深くかかわるほど、ひどい目や嫌な目に遭うことも少なくない。時には「映画疲れ」してしまう。そんな疲れを吹き飛ばしてくれるのが爆音映画祭だった。

「爆音上映」という響きはインパクトのある反面、誤解を呼ぶ名称だが、ただ単に耳をつんざくような音をさせるわけではない。ライブ用のスピーカーを使って、映画1本1本の音質と音量を調整して、その映画が潜在的に孕んでいる可能性を拡げてくれると言えばよいのか、通常の上映では聞こえないような密やかな響きまでも聞こえるようにしてくれるのだ。これは自分で体験してもらうしかない。すでに暗記するくらいに何度も見ていた映画が、こんなに繊細な音作りをしていたのか、と驚かされただけでなく、まるで初めて見る映画のように新鮮に輝いて見えたのだ。百聞は一見にしかずというが、まさに百聞は一聴にしかずだ。

 

そして自分の監督デビュー作『おかえり』を含めて、これまで何本も自分の映画を上映してもらってきた。現時点での自分の最新作になる『あれから』も、去年の3月に続いて、今年3月にも再上映してもらい、時間が許すかぎり上映にも立ち会って、舞台挨拶やアフタートークをさせてもらった。そこでは、また新たな出会いがあった。

本当に今の自分を育ててくれた、とても特別で、大切な場所だ。その場所がまもなく消えてなくなってしまう。なくならないものなんて何もないことは百も承知しているけれども…。とにかく、これから閉館まで何度も足を運ぼうと思う。単なるノスタルジーではない。ここで映画を見続けることが、自分にとって映画の未来を考えることになるからだ。エイガのアカルイミライのことを。

実は今あることを画策している。本誌が出廻る頃には、情報が詳らかになっているかもしれない。皆さん、ぜひバウスシアターへ駆けつけてください。そして騙されたと思って爆音映画祭も体感してみてください。

THE LAST BAUSまもなく開幕です。

 
篠崎 誠(映画監督)
1963年東京生まれ。デビュー作『おかえり』がベルリン
国際映画祭など海外で11賞を受賞。主な作品として
『忘れられぬ人々』『浅草キッドの浅草キッド』『東京島』
など。現在『あれから』に続く最新作『SHARING』を製作中。

 

吉祥寺バウスシアター前にて 篠崎誠監督作品「あれから」主演女優 竹厚 綾さん

吉祥寺バウスシアター前にて
篠崎誠監督作品「あれから」主演女優 竹厚 綾さん

吉祥寺バウスシアター
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-23
TEL:0422-22-3555